| 「百人一首」で知る日本の伝統文化。百人一首を様々な形で楽しめる。京都嵐山にある「小倉百人一首」をテーマにした体験型学習施設「時雨殿」。「時雨殿」で触れることができるかるた勝負や、百人一首の技を鍛えることができるミニゲームなど、DSならではの機能で伝統文化の魅力を堪能することができます。また、タッチペンで調べる京都案内も収録しています。 |
百人一首-14-河原左大臣(かわらのさだいじん)
百人一首-14-河原左大臣(かわらのさだいじん)
嵯峨源氏融流初代。紫式部『源氏物語』の主人公で美男子の光源氏の実在モデルとする説がある。陸奥国塩釜の風景を模して作庭した六条河原院(現在の渉成園)を造営したといい、世阿弥作の能『融』の元となった。また、別邸の栖霞観の故地は今日の嵯峨釈迦堂清凉寺である。
六条河原院の塩釜を模すための塩は、難波の海(大阪湾)の北(現在の尼崎市)の汐を汲んで運ばれたと伝えられる。そのため、源融が汐を汲んだ故地としての伝承がのこされており、尼崎の琴浦神社の祭神は源融である。
陽成天皇の譲位で皇位を巡る論争が起きた際、自分も皇胤の一人であると主張したが藤原基経に退けられたという。(『大鏡』) また融の死後河原院は息子の昇が相続、さらに宇多上皇に献上されており、上皇の滞在中に融の亡霊が現れたという伝説が『今昔物語』『江談抄』等に見える。
現在の平等院の地は、源融が営んだ別荘だったもの。
◆百人一首-14-河原左大臣(かわらのさだいじん)
陸奥の しのぶ もぢずり 誰ゆゑに
嵯峨源氏融流初代。紫式部『源氏物語』の主人公で美男子の光源氏の実在モデルとする説がある。陸奥国塩釜の風景を模して作庭した六条河原院(現在の渉成園)を造営したといい、世阿弥作の能『融』の元となった。また、別邸の栖霞観の故地は今日の嵯峨釈迦堂清凉寺である。
六条河原院の塩釜を模すための塩は、難波の海(大阪湾)の北(現在の尼崎市)の汐を汲んで運ばれたと伝えられる。そのため、源融が汐を汲んだ故地としての伝承がのこされており、尼崎の琴浦神社の祭神は源融である。
陽成天皇の譲位で皇位を巡る論争が起きた際、自分も皇胤の一人であると主張したが藤原基経に退けられたという。(『大鏡』) また融の死後河原院は息子の昇が相続、さらに宇多上皇に献上されており、上皇の滞在中に融の亡霊が現れたという伝説が『今昔物語』『江談抄』等に見える。
現在の平等院の地は、源融が営んだ別荘だったもの。
◆百人一首-14-河原左大臣(かわらのさだいじん)
陸奥の しのぶ もぢずり 誰ゆゑに